2012年7月の記事一覧
1.水族館のスタート
「君は他に何ができる?」とのやや唐突な問いかけに「魚を飼うのが得意です」と小さな子供のような内容の返事。思えばこのやりとりが今の状況の開始点だったような気がする。これは私が教員になって満10年となる昭和63年2月某日の埼玉県立大宮光陵高校の校長室での会話。新任以来10年間お世話になった県立富士見高校ではひたすらバレーボール部の顧問として若さに任せてやっていた。転勤先となった大宮光陵高校は創立まだ3年目で、当時の校長の渡辺圭一先生は埼玉県で初めて普通科に芸術科を併置したその大宮光陵高校を創った方であった。その校長先生との面接でのやりとりが冒頭の会話だったのである。「私のやり方が気に入らなければ来て頂かなくても結構」というような(確か、そう言ったと記憶している)やや?ワンマンなところもある校長先生だった。転勤して私はバレーボール部のかたわら、自然観察クラブというクラブ活動で生徒と一緒に野鳥観察などをしていた。11月になってそれまで4年間続けていたサケの孵化・飼育と荒川への放流をクラブの生徒たちに話したところ、是非やりたいと全員の意見が一致した。そこで直接、校長先生にお願いして横幅90cmのガラス水槽1セットを購入してもらった。その水槽で、荒川にサケを放す会より入手したサケの受精卵500個を孵化させ、飼育した後2月11日に生徒たちと一緒に荒川へ放流した。放流には渡辺校長先生ご夫妻も来てくださった。このサケの飼育と放流のことが当日の毎日新聞の朝刊に結構な紙面をさいて掲載されたのである。思わぬ学校のPRにもなったと思われてか、渡辺校長先生曰く「魚が好きならもっと飼ったらどうだい」この言葉を頂いてそれならばと、殆ど使われていなかった地学室を「大宮光陵水族館」とする構想を練った。描き上がった青写真を渡辺校長先生に見せたところ、当時の前野芳子事務長にも相談して費用的にも何とかなりそうということでOKが出たのである。2年間の準備期間を経て、平成3年4月に90×45×45(cm)のガラス水槽を11本並べた「大宮光陵水族館」がスタートした。飼育した魚は肺魚や数種のシクリッド、それに自然観察クラブの生徒たちからリクエストされたピラニアなどである。生物の授業の生きた教材としてはもちろん、美術科の生徒にとっては生きたモチーフとして、そして何よりも見に来る人にとって心安らぐ空間として親しまれるようになっていった。
2.水族館の充実
文化祭や学校説明会の時には多くの見学者が訪れるようになり、平成9年3月には全国教育新聞でも紹介された。毎年数本の水槽を増やし、教室の周りにぐるりと30本の水槽が並ぶようになった。メイン水槽は180×60×60(cm)で、他は殆どが120×45×45(cm)か90×45×45(cm)の水槽である。魚だけでなく、脊椎動物の上陸の進化が学べるようにと、肺魚に加えて、両生類のイモリや爬虫類のヤモリなども飼育した。繁殖することもたびたびで、平成13年2月にはまだ例が少ないとされるピラニアの繁殖にも成功した。育った約500匹のうち、約300匹を池袋のサンシャイン国際水族館に寄付した。そのピラニアはいまでも飼育されている。そして一般の方や小中学生などに貰われていった魚などが元気に育っていたり、2世が誕生したりという連絡は何よりの喜びであった。
3.水族館の引越し
平成15年3月、15年間も慣れ親しんだ大宮光陵高校から桶川西高校への転勤が命じられた。同じ県立高校なのだから構わないでしょうと、双方の校長先生が了解してくれて、特に桶川西高校の当時の田部井功校長先生は、面接の時に「是非持ってきて欲しい」と強く言って頂いた。そこで、3月24日の3学期の終業式が終わってから4月8日の新学期の始業式まで、空前の引越しが始まったのである。引越し業者に相談してみたものの、水物、割れ物、生き物は無理と断られ、片道15kmの両校の間を自家用車で毎日2往復する作業となった。30本の水槽とその関連器具、そして約300匹の魚たちの大移動がわずか2週間で無事に終えられたのは、お手伝い頂いた双方の学校の多くの先生方や生徒たちのおかげである。思い出す毎に、感謝の気持がこみあげてくる。本当にありがとうございました。
4.桶西水族館として再出発
さて、桶川西高校に突然もちこまれた水族館を生徒たちにどう説明したものかを考えた末、すべてのHR教室に出向いて話すことにした。職員会議で先生方の了解を得て、各クラス3分間ほどの時間をもらい、始業式後の各教室におじゃました。すでに噂は広まっていて、「魚たちをよろしく」とお願いする私の話を生徒たちは良く聞いて判ってくれた。放課後、たくさんの生徒たちが見に来てくれたのは言うまでもない。
「すっげー」「これが肺魚!・・・グロイ」とか「ピラニアまじ怖そう」「青いの、超キレイ」などなど予想以上の反応だった。「友達に話そう」「親に話そう」などとも話していた。生徒のいたずらを心配する先生方の声もあったが、杞憂に終わった。
5.部活動にそして学校の目玉に
放課後よく見に来る生徒が数名いた。ある時、「先生、これ部活にしてよ。俺たち入って手伝うからさ」と。「そうか、それは有難い。さっそく検討するよ。」と答えておいた。来校した保護者の方からも「こういうのが好きな生徒はいるはず、関わらせてあげて下さい」というご意見を頂いた。桶川市の市長や教育長も見に来てくださった。そして、「これは是非、一般市民や小中学生に見せられるようにして欲しい」とのご要望を頂いた。そんな中、埼玉県の教育施策の一つとして平成15年度から3ヵ年限定で実施の県立高校特色化企画事業への応募の相談を田部井校長先生から受けた。「是非、水族館を中心に位置付けて本校も応募したい」と。多くの人に見てもらってこそ意味があるものと常々思っていたわけで、二つ返事で了解した。(捻出が大変な維持費用も確保できれば一石二鳥と思って)
6.特色化企画事業とハートフル桶西水族館
7.PR活動
これらのすべてを広く校外に紹介すべくPR活動を行った。初めに、水族館の開設を紹介する展示パネル(1m×2m)を作成し近隣の小中学校に順に置かせてもらった。また、飼育している生物や一般公開の内容等を紹介するパンフレットを作成して、まず地元の桶川市内の小中学校の全生徒・児童に配布し、さらに様々な機会をとらえて配布に努めた。ベネッセの中学生向けの雑誌では「全国、高校の名物」の一つとして紹介された。平成16年6月1日の埼玉新聞の朝刊では、その日からの一般公開の記事を掲載してもらった。PTAの広報誌や桶川市の市報、埼玉県の「彩の国だより」などでも紹介され、7月17日朝7:30からはNHKの「おはよう日本」で生中継もされた。この生中継の反響は大きく、すぐに問い合わせの電話が入ったり、都内のある年配のご婦人からは「最近の寂しい世相の中で、なんて喜ばしい話題なんでしょう、頑張ってね」という励ましのお便りも届けられた。サンタマンタという男性4人のボーカルグループからは、メンバーが作詞作曲して歌う13曲のCD「水族館」を贈っていただいた。その後も産経、公明、読売の新聞3社で取り上げられ、アクアライフという専門雑誌でも詳しく紹介された。地元の埼玉テレビでは特色化企画事業の指定を受けた高校の活動紹介としてテレビ放映された。そんな予想以上の広報の連鎖のおかげで、来館者は増え、夏休みだけでも親子連れを中心に500人以上の方が訪れた。「これだけのものを、混み合わずにゆっくりと、しかも無料で解説つきで見られるなんて」と感想を残していってくれる方が多い。地元や県内のみならず、東京や千葉から見に来てくださる方もいた。嬉しいことに、最近はリピーターも増えてきている。
8.飼育・管理について
健康を維持するために心がけているのは餌と水換えである。餌は人工飼料や乾燥飼料が主にはなるが、それだけでは不足しがちになるビタミン類等を補うために、ミジンコ、アカムシ(ユスリカの幼虫)、ショウジョウバエの幼虫、魚、貝、エビ等の冷凍の生餌を併用している。餌の種類もできるだけ多く食べるように慣れさせるが量は控えめで、週に一日は餌を与えない。大型魚は1~5日おきにしている。だらだら食いよりも、空きっ腹にしておいてから与えるほうが消化吸収が良くて排泄物も少なく、体調が良いからである。水は水道水を常時500リットル汲み置き、温度をあわせ、エアーレーションして交換に供している。一晩で塩素は抜けるのでチオ硫酸ナトリウム(通称ハイポ)などの中和剤は使わない。その水を使って、どの水槽も毎週一回、半分の水換えをしている。濾過をしていて水は透明できれいに見えても、水質は排泄物中の各種イオン等で汚れているものである。濾過槽は状況を見て、2~6ヶ月に一度、中の砂利などの濾材を洗う。アフリカの肺魚類など生息地の水質がミネラルの多い硬水の場合は、濾材にサンゴ砂を使っている。サンゴ砂から溶け出すカルシウムはpHの低下も防いでくれる。混泳させる場合はもちろん相性等に注意する。繁殖をねらっているわけではないが、雌雄をいい状態で飼育していれば自然に繁殖にいたる。ピラニアの繁殖もそうだった。増えた魚などは、希望する方に無料でさしあげているが、必ず死ぬまで飼うこと、飼いきれなくなったら返すこと、絶対に河川等に放したりしないことを約束していただき、住所・氏名・電話番号を控えさせてもらっている。寄生虫、細菌感染症等の病気は殆どなく、食塩とメチレンブルー以外の薬は手元に置いていない。水質調整剤なども使ったことがない。とにかく、餌と水換えで健康は保てる。ちなみに水の全交換は絶対にしてはいけない。水質の急変が魚に甚大なストレスを与えて、逆に健康を害す。餌は医食同源の考え方で、水は汚くなってから換えるのではなくて、きれいなうちに半分換える、これが健康に飼育する秘訣であると確信している。
9.生きた教材として・・・
飼育しているアミアやガーパイク、ポリプテルス、肺魚などはいわゆる古代魚と呼ばれ、化石種に多く見られるような古い時代の魚類の特徴的な形態をとどめている。それらの古代魚と、両生類のイモリに爬虫類のヤモリ、これらの生き物たちを見て脊椎動物の上陸の進化を理解してもらおうというねらいがこの水族館にはある。我々ヒトを含む4本の手足を持つ、いわゆる四肢動物の起源については、古生物学がそのルーツを明らかにしてきた。古生代後半から中生代にかけてのユーステノプテロンやイクチオステガ、アカントステガなどの化石種の研究から、シーラカンス類ではなく肺魚類が、現生の四肢動物の祖先に最も近い系統であるとする説が有力となっている。そのような内容を90㎝四方の5枚のパネルで解説し、A4の縮刷版で配布できる資料としている。古代魚が水面に口を出して空気を吸う様子を見たり、肺魚がむちのようになってしまったその胸鰭、腹鰭を手足のように突っ張って水中で体を支えている様子を実際に見ると、今から約4臆年前、魚類の中のあるグループが四肢を獲得して陸に上がっていったその進化の一端をかいま見たような感動を覚えていただけるはずである。そして、イモリ(井守)と、さらに進化して乾燥に適応した爬虫類のヤモリ(家守)の区別も一目瞭然である。
10.学習環境としての設備
公立の高校の生物室にクーラーがあるなんてそうはないだろう。魚たちを夏の猛暑から守るために大型のガスクーラーが設置されている。もちろん快適な授業や実験ができて生徒たちにも大好評である。また視聴覚教材をフルに活用すべく、パソコンにもつながる液晶プロジェクタと100インチのスクリーン、天井からは29インチの子テレビが4台吊り下がっている。教室前方上部には2台のスピーカーが設置され、クリアーで迫力ある音声で聞くことができる。ジョグシャトル機能つきのS-VHSビデオデッキとDVDレコーダーにCDプレーヤーと、視聴覚室に負けないAV機器を備え、さらCCDカメラを付けた顕微鏡にフルオートの写真撮影措置を付けた顕微鏡各1台とフォトビックスがあり、セレクターの操作でそれぞれがAV機器につながる。例えば生徒が顕微鏡で観察していたものをすぐに録画して、動きが速いものはコマ送りで見ることもできる。写真撮影もできる。スライドプロジェクタもあるが、フォトビックスを使えば室内の照明を暗くせずにスライドでもネガでもモニターに写せるし、反転・色調整も容易にできる。何でもありの生物室である。ただし、顕微鏡以外の実験器具は回りがすべて水槽に占拠されているために別室にあり、実験準備等にやや手間がかかるのが難点ではある。
11.サケの孵化・飼育と荒川への放流
1981年、サケの受精卵を孵化させ、育てた稚魚を荒川に放流する運動が「荒川にサケを放す会」によってはじまり、翌年には入間川、多摩川、利根川、渡良瀬川にもその運動が拡大されて、「関東5河川にサケを放す連合会」が結成された。以来、河川の浄化と自然保護の意識を高め、命を大切にする心を育てる市民運動の一つとして一般家庭や学校、各種団体等の参加、協力を得てその運動は拡大している。各河川では放流を始めておよそ3年後から成長したサケの遡上が確認され、その数も年々増えてきている。利根川では、行田の利根大堰の魚道に設けられたガラス窓から遡上してきた大きな親のサケの姿を見ることができる。私も早くからこの運動に関わって孵化・放流を毎年続けてきたが、桶西水族館では平成15年度は90×45×45(cm)の水槽で約500個の受精卵を孵化させ、育てた稚魚を荒川に放流した。平成16年度は一回り大きい120×45×45(cm)の水槽で約600個の卵を孵化させ、育てた稚魚を荒川に放流した。<孵化を見守り飼育・放流に関わった生徒たちはそれぞれ、生命誕生の感動とともにサケが自然に繁殖できるようなきれいな川にしなくてはいけないという思いを新たにしている。このようなサケの孵化・飼育と荒川への放流を一緒にやりませんかというお誘いをしたところ、桶川市立桶川西小学校とさいたま市立宮原小学校の参加を得、それぞれが150個の卵の孵化・飼育に取り組んだ。児童のかいた絵や感想文などを桶西水族館に展示させてもらう予定である。今後、一緒にサケを育てて放流する学校が増えることを期待している。ちなみに、サケの受精卵はもちろんのこと、水槽をはじめとする飼育器具一切と餌まで桶西水族館のほうで提供するので、水槽をおく場所と台(生徒用の机がよい)と、近くに電源があればできる。水槽のセッティングから受精卵の搬入、生育状況の確認や、餌やり・放流時の梱包などのアドバイスなどすべて桶西水族館のスタッフ(職員か生徒)がお伺いしたり連絡をとってお世話させていただくものである。
12.水族館と生徒たち
5人の科学部員にとっては、始めは30種類もの名前と特徴を覚えるだけでもたいへんだった。しかし、来館者に対する接客マニュアルを自分たちで作ったり、答えに困った質問などをノートに記録してお互いにそれを見たりして、しだいに自信をもって来館者に対応できるようになった。「親切に説明してくれてありがとう、また来ます」という声にやりがいを感じているようだ。水温やモーターなどのチェックや水槽や濾過槽の掃除などは結構たいへんでも、餌やりは楽しく、記者の取材をうけたり、テレビカメラの前で話したりとなかなかできない貴重な体験をしていると思う。一般の生徒も、昼休みなど食後のくつろぎタイムに水族館に来て、水の音に包まれながら魚たちをじっと見ているような様子をよく見る。あるいは「うちの学校にこんなものがあるんだぜ」みたいに、ちょっとした学校の自慢話にもしているようだ。お気に入りの魚にニックネームをつけ話しかけたりしている生徒もいる。そして「先生、魚たち元気ですか」と声をかければ私のご機嫌がいいことも心得ているようだ。
13.最後に・・・
CGやアニメに囲まれて、実物を知らない、あるいはそばにあっても気がつかない今時の生徒たちに、少しでも多くの実物に触れる機会を与えてあげたいとの思いから、魚好きの生物教師が生物室を水族館にしてしまった。それが生物教材という立場をはるかに超えた存在になってしまった今、正直言って少々たいへんではある。しかし、校内においては生徒たちや教職員の憩いの場になり、噂を聞いて一般の方が訪れたり、小中学生が学校帰りに気軽に寄り道をしたり、近くの施設の障害のある子供たちが保母さんに連れられて、散歩がてらに寄って一時をのんびりと過ごしたり、そんな場所が高校の中にあってもいいんじゃないか、と思う。固いことは抜きでお許しを頂きたい。水族館を訪れた方に感想などを一言書いて頂いているノートがある。
12年間の大宮光陵水族館時代で6冊たまった。ハートフル桶西水族館となってはまだ2年なので1冊が終わろうとしているところである。おもえば、この高校水族館は多くの人に支えられて続けてくることができた。そして私はこの高校水族館をとおして、たくさんの人と出会えた。閉館は考えていない。誰かに後をつないでもらう。その時までにさらにたまるであろうこのノートがこの世に二つとない私の宝物になることは間違いない。まだまだ続けられる限り、進化していく高校水族館でありたい。